カテゴリー: 弁護士の趣味

陣内弁護士の興味あるもの

陣内法律事務所も1周年

事務員さんらが弁護士会の研修に行くらしい。
熱心なことだ。
大阪の弁護士会は事務員研修が充実している。
弊所の常識が大阪弁護士会の非常識だったりしたら困るので,
外部とのつながりは持っておかないとな。

「先生は行かないんですか。研修と委員会。去年の今頃,言ってませんでした?しっかり勉強していかなあかん,って。」
まあ,言うとったやろな。
多分,多分やで・・
このままやったら・・
私はずっと研修と委員会に行かない気がする。
ここは事務員さんらを見習って,
行ってみようか。

開設1年目は暇なはずだった。
しかし,結構忙しかったな。

前の事務所の引継案件
格安で受けた破産の依頼者が引越しして管財人の事務所まで片道2時間超
依頼者の破産で報酬とんだ
報酬踏み倒し
赤字案件が多かった。
でも間違いなく経験にはなってる。
弁護士はトータルできちんと稼ぐことができればよい。
そう思ってやっていくか。

私の近影な。
事務所の近所の人が家で鯛を焼いてきてくれた。
嬉しい。夜食と次の日の朝ごはんにいただきました。
ありがとう。

経費削減のため食事会はラーメン屋の予定だったけど・・
1周年のお祝いを先輩弁護士からもらった。
で、事務員さんらとハタとかカメノテとか食べに行ってきた。
臨時収入で飲み会
そう考えると弁護士も自営業やな。


引き続き,
弁護士陣内優一をよろしくお願いします。

大阪歴史博物館 ♪

電車の中釣り広告で,
あやしい絵展というのがあるのを知って観に行ってきた。

あやしい絵展 公式ホームページ


電車の中釣りは私の貴重な情報源。
タイムリーなネタが満載です。

さて,あやしい絵
世に知られた絵の3分の1ぐらいはやや怪しい沿革を持ってる。
人の情念が澱んでいるのですよ・・
今回の展示は知って楽しむ怪しさもあるが、
見て楽しむ怪しさだな。
冒頭の絵は橘小夢(たちばなさゆめ)の安珍と清姫
巻きついてますな。

夏の夕涼みにはちょうどよい絵がたくさん
場所は大阪歴史博物館
大阪城と大阪家庭裁判所のすぐ近く。

青木繁もあったな。
日本の神話の絵が多い。
黄泉比良坂(よもつひらさか)

黄泉比良坂と八咫烏 : クラシック音楽とアート


彼岸と此岸の境の坂
お盆らしい絵
黄泉比良坂は島根にあるらしい。
坂を上ると帰り道はない、
と言われているかどうかは知らん。

次も橘小夢
これは水魔
うん。エロティシズム。

金色ノ鮒 [The Fish of Gold] Ⅱ: 橘小夢の「水魔」の疑問、無事解決。

関係ないがこれはフュースリーの夢魔
デトロイト美術館所蔵

夢魔 (絵画) - Wikipedia


美女と異形の存在
どうやら洋の東西を問わないらしい。

安珍清姫の絵がたくさんあったな。
清姫が大蛇に化けて安珍を焼き殺す話で、
和歌山の道成寺に伝わる話。

あと幽霊とか怨霊の絵もたくさんありました。

・・しっかし、
中年男性の幽霊の絵って少ないな。

空の時計

空の時計

東大阪市
町工場が多い土地だ。
モノづくりの町として有名で世界も驚く技術や製品が生まれる土地。
私は用事があってたまに行くんだけど,いろんな人がおるな。

この前は正面から
自転車に乗ったランニング一枚のご老人が走ってきた。
鬼気迫る漕ぎ方のわりに自転車は速くない。
周囲に怜悧な眼光をまき散らして何かを叫んでる。

「~陛下の」「皇国」「~万歳」・・

前時代的なフレーズ
その軍国主義的な空気が私を遠ざけた。

鳥肌実中将の30年後みたいなご仁や。
(鳥肌実→演説家、お笑い芸人)

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聞くと地元では有名人らしい。

私の子供の時分を思い出したな。
こっちに来て私は祖母の家に住んでた。
田舎であったが、繊維工場がたくさんある土地だった。

私には全てが新鮮だった。
テレビが家庭にあり、都会に行けばマンションやビルもあった。
高速道路も整備されていた。

当然ながら終戦から随分時が経っていた。
当たり前だが戦火の煙など残滓すらない。

その頃の思い出だ。

近所に工場があり,正午と終業時に時報が鳴った。
今も地方に行くと町内放送や時報がある土地はある。
珍しくなったけどな。午後5時に蛍の光が流れたりする。
昔のパチ屋みたいや。
近畿地方でも田舎の方に行くと原爆投下の時刻に町内放送が流れて,
黙禱することもある。

工場の終業を告げるのはけたたましいサイレンだった。
このサイレンが鳴ると、たまに軍服と軍靴、ヘルメットの老人が玄関に来た。
そして言ったのだ。

「敵機襲来!退避せよ」

すると割烹着を着た祖母が、「全員退避しました」と真面目に応対し最敬礼したのだ。

「よし、お前も急げ」

老人は門扉を閉めて去った。

私は襖を開けて一部始終を見ていた。
珍妙ないでたちの老人もおかしかったが、それに応対する祖母も、当時の私にはたいへん滑稽に映った。

老人は近所の魚屋の隠居だった。
工場の終業のサイレンを聞くと、家族が止めるのも聞かず近隣に空襲がきたとふれて回るのだ。

「ご病気なのよ。面白がってはだめよ」

祖母は割烹着の裾で目頭を押さえていた。

今となってはずいぶん昔のことだけど。

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写真は飛行時計
戦時中のものや。
SEIKOが第二精工舎だった頃のもの
12時位置,「12」と「時」の間にスモールセコンド(秒針)がある。
時計を振ると僅かだけど動く。
これは手巻式時計で6時位置のリューズを巻いて動力を得る仕組み。
すでに故障して巻き上げることはできないから,今動く動力が蓄えられたのは戦中ということになる。

祖母の夫は特攻隊で鹿児島の知覧にいた。

今日は終戦の日、である。