空の時計

東大阪市
町工場が多い土地だ。
モノづくりの町として有名で世界も驚く技術や製品が生まれる土地。
私は用事があってたまに行くんだけど,いろんな人がおるな。

この前は正面から
自転車に乗ったランニング一枚のご老人が走ってきた。
鬼気迫る漕ぎ方のわりに自転車は速くない。
周囲に怜悧な眼光をまき散らして何かを叫んでる。

「~陛下の」「皇国」「~万歳」・・

前時代的なフレーズ
その軍国主義的な空気が私を遠ざけた。

鳥肌実中将の30年後みたいなご仁や。
(鳥肌実→演説家、お笑い芸人)

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聞くと地元では有名人らしい。

私の子供の時分を思い出したな。
こっちに来て私は祖母の家に住んでた。
田舎であったが、繊維工場がたくさんある土地だった。

私には全てが新鮮だった。
テレビが家庭にあり、都会に行けばマンションやビルもあった。
高速道路も整備されていた。

当然ながら終戦から随分時が経っていた。
当たり前だが戦火の煙など残滓すらない。

その頃の思い出だ。

近所に工場があり,正午と終業時に時報が鳴った。
今も地方に行くと町内放送や時報がある土地はある。
珍しくなったけどな。午後5時に蛍の光が流れたりする。
昔のパチ屋みたいや。
近畿地方でも田舎の方に行くと原爆投下の時刻に町内放送が流れて,
黙禱することもある。

工場の終業を告げるのはけたたましいサイレンだった。
このサイレンが鳴ると、たまに軍服と軍靴、ヘルメットの老人が玄関に来た。
そして言ったのだ。

「敵機襲来!退避せよ」

すると割烹着を着た祖母が、「全員退避しました」と真面目に応対し最敬礼したのだ。

「よし、お前も急げ」

老人は門扉を閉めて去った。

私は襖を開けて一部始終を見ていた。
珍妙ないでたちの老人もおかしかったが、それに応対する祖母も、当時の私にはたいへん滑稽に映った。

老人は近所の魚屋の隠居だった。
工場の終業のサイレンを聞くと、家族が止めるのも聞かず近隣に空襲がきたとふれて回るのだ。

「ご病気なのよ。面白がってはだめよ」

祖母は割烹着の裾で目頭を押さえていた。

今となってはずいぶん昔のことだけど。

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写真は飛行時計
戦時中のものや。
SEIKOが第二精工舎だった頃のもの
12時位置,「12」と「時」の間にスモールセコンド(秒針)がある。
時計を振ると僅かだけど動く。
これは手巻式時計で6時位置のリューズを巻いて動力を得る仕組み。
すでに故障して巻き上げることはできないから,今動く動力が蓄えられたのは戦中ということになる。

祖母の夫は特攻隊で鹿児島の知覧にいた。

今日は終戦の日、である。